フジモリ調査


日系人の話

トレドの支持率はわずか8パーセントしかなく、フジモリ待望論が高まっており帰国できれば当選できる。しかし帰国すると裁判にかけられるのでクーデターでも起こさない限り不可能。そこで時流も変わる次の次の選挙(8年後)を狙い、ラジオ演説を東京から毎週1回流している。


ペルー人に体当たり取材(中年3人に対し3者同回答)

「フジモリ支持?」

「いいえ」

「理由は?」

「kf’いーwl4ぉ;24」(スペイン語ができないため聞き取れず)

「じゃあトレドか?」

「はい」

リマ到着

今回の旅でメキシコシティに次いで大きな街。タクシーでどれだけ走っても郊外に出る様子は全くない。ブラジルのサンパウロと並ぶ南米の玄関口なだけはある。

ここは北部沿岸部よりは暑くないが、Tシャツ一枚で過ごせる朗らかな気温。


グアテマラのアンティグア以来会うことができなかった日本人女性旅行者を発見する。しかも次から次へと。さすが観光立国ペルーだ。

今日の管理人

午前中だけでトイレに10回以上も行く。午後、日程をこなすため観光に出かけたは
いいが、灼熱地獄の砂漠を歩かされ脱水症状に歯車がかかり死にそうになる。
夜は、街で仲良くなったペルー人青年に夕食を誘われ、無理して鶏肉の足を食べる。今日の食事はそれだけ。

トルヒーヨ

ここトルヒーヨは街自体に歴史や変わった特徴などが全く感じられない。ただ、ペルーで人口3番目の都市だけあり、とても大きな街だった。これだけ大きな街は、エクアドルのキト以来か。


ここで印象深かったことは、2人の日本語使いと出会ったこと。


乗合いバンで声をかけてきた35歳ぐらいの女性は、大阪で3年間暮らしたらしい。仕事は工場で流れ作業をし、月収は25万だったという。試しにペルー人の平均月収と「大多数のペルー人はフジモリをどう思っているんだ?」の2点を尋ねてみた。答えは「月収は1万〜2万」で、「フジモリ支持は少数で大多数は現大統領のトレドを支持している」だった。


リマ行きバスを待っている時に家族の見送りで居合わせた34歳の男性は、埼玉県の熊谷市で5年間暮らしたという。日産自動車の部品会社で働き、月収は30万、家賃は3万だったとのこと。ここでも上記の2点を聞いてみた。すると月収は同じ答えだったが、フジモリ支持は「多数」と食い違いが出た。どうも彼はトレドが大嫌いなようでトレドの不正を盛んに訴え、逆にフジモリの功績を称えていた。このフジモリ支持率には興味があるので、調査は最後まで続けようと思う。


余談として彼との会話

「お父さんに毎月20万円仕送りしていたが、ペルーに帰って驚いた。お金持ちになってなかったんだよ。お父さんは僕のお金で何人もの若い女にマンションをそれぞれ買い与えて、毎晩楽しんでいたんだよ。僕の日本での苦労は何だったんだよ。」

「お父さん何歳?」

「60歳超えてるよ」

「そっか〜」


こんな感じで私は彼に少し同情を覚えた。しかし


「ビザ取るの大変だったろ?」

「日本人いい人多いね。女、女」

「あ〜、日本人の愛人がいるんだ〜」

「もうすぐ結婚するよ。結婚するとビザ取り易くなる」

「結婚するって、(指を指して)そこにいる奥さんはどうするの?」

「知らないよ」

「。。。。」


<仮定の話>みんなは10倍以上の給料と奥さんどっちを取る?

あけましておめでとうございます

新年早々申し訳ないが、吐き気、下痢を伴う。


今まで3000メートル級の高度に数週間おり、一気に沿岸部まで降りてきたことで逆高山病になったのか。それとも昨夜食べた夕食が当たったのか。

どちらにしても疲れていたことは確か。


しかし日程的に昼過ぎまでしか寝ている暇は無く、午後からトルヒーヨへ7時間移動慣行。